ここに置いておきますね。

脳みそから取り出した駄文の書き置き

今日からはじめる陰謀論入門とかどう?と言われても

人生を楽しむコツは、いかにして脳汁(ドーパミン)を出すかだと思っているKakiokiです、どうも。そして常々ドーパミンが枯渇しているKakiokiです、どうも。

先輩に「なんかさ〜、こんなの初めてっ!!みたいなすごいこと起きないかなぁ。超楽しい未知の世界みたいなさぁ〜」と話すと、「ここまで大人になったらもうないだろ」と一蹴された。

「やだ、なんかありたい」と粘ると「そこは覚醒剤じゃない?」と返される。「いや、合法で頼む、長く楽しみたいし…おいでファンタジー、好きさミステリー…」とさらに粘る。

そこで提案されたのは陰謀論。(この先輩、ろくな提案しないな)

陰謀論イルミナティカードみたいな?陰謀論ビギナーはどっからはじめればいい?オバマは宇宙人だったみたいなのは、私さすがに入れ込めないんだけど」「トランプが光の戦士だ!みたいのはあるな」

「なにそれ先輩詳しいな、陰謀論入門みたいな本ないの?」「Wikipediaでも眺めてれば?」「ほーん…じゃ今週末それやるわ」

で、まぁ見るかって言ったら、見ないけど。(散々アイデア欲しがってお前)

結局、人間って信じられるものが欲しいんだろうなぁ。これはホンモノだっていう確信が欲しい。そして”確信”と”(科学的)根拠”はまた別物だったりして。人は見たいものを見る。だから、私から見れば絶対にあり得ないことも、誰かから見たら全然にあり得ること。その逆もまた然り。

人生、疑いを持たずに熱を持って没頭したことってないなぁ。陰謀論を信じるとか、まぁなんでもいいんだけども。瞬間瞬間ではあるんだろうけど、長く続いたことがない。信じやすいけど、すぐに熱が冷める。とはいえ、”信じやすい”っていうのは、”信じたい”ってことなんだろうなぁと思う。

信じるもの、極めたいものは(合法なら)きっとなんでもいい。アイドル・プラモ作り・恋愛・勉強・お金稼ぎ・伊能忠敬ごっこ、なーんでもいいんだけどね。そもそもが無趣味なんだよなぁ。とはいえ、好きなことがないわけじゃないけども、「それがなかったら生きていけない!」と断言できるほどのものではなく。

目新しいものに出会うたびに「これか!?私の人生に与えられた使命…羅針盤!」ってすぐ思うけれど、「どうやら違いそうだぞ」も割とすぐ思う。

 

いつか、岡田斗司夫氏が何かのインタビューで「吸収したいというものがあったら、それを宗教のように捉えるといい」って言ってた。

岡田斗司夫氏は一時期、勝間和代氏に興味を持って、言動や書籍を調べ尽くし、本人のサイトの構成もノートにとって研究したらしい。

インタビュアーが「でも、すべてを受け入れるってなかなかできないですよね」と聞くと、岡田斗司夫氏は「発言やものの考え方で“それはちょっと違うんじゃないかな?”という疑問が浮かんでも、きっと自分が未熟だから、理解できるところまでまだ到達できていないのだ、と思うようにしています。すべてを受け入れるんです。」というようなことを答えていた。ほほ~う。

信じると決めたものに、疑いを持たないってすごい力があるな。清々しい。でもそれって集中力がいる。一度「おや?」と思ってしまったら。私はもう集中の火を灯し続けられないし、気づかなかった振りができない。もっと謙虚に「いやいや、私ごときが疑問を持つなんておこがましいです…恐れ多いです」くらい思いながら向き合わないとダメだわ。陰謀論以外と。