ここに置いておきますね。

脳みそから取り出した駄文の書き置き

「おしゃれに憧れてるんだね」という辱めとその事実

どーも、アラジンのトースターを買って以来、可愛くてハッピッピなKakiokiです。(ハッピッピ)

会社で、家具や家電の買い替えについて話していたんだけどね。

私は用途を満たしていても、壊れていなくても、買い換えたくなる派。実行に移すかはまた別。それでも(買い換えたいな〜早く壊れないかな〜そしたら話は早いのにな〜)くらいは常に思ってる。

一方先輩は一度買ったら壊れるまで何も思わないってことだった。家具などは用途を満たしている限り、ずっと同じものを使うそうだ。

先日、13年使ったトースターが壊れ、やっと新しいものが買えた話しをした。「アラジンをね!買ったんですよ!」と言うと、「ふ〜ん、おしゃれに憧れてるんだね」とポツリ。

待て待て待てぃ!「おしゃれだね」でいいじゃないか。「おしゃれに憧れているんだね」って、なんでわざわざ言うんだよ。(そう怒ったらめっちゃ笑ってた)

「おしゃれな私がおしゃれなアラジンを買うのは必然で、むしろアラジンが私の御眼鏡に適ったんですよ。アラジンが、選ばれた方ね。私が、選んだ側ね。OK?」と力説したら爆笑された。(なんで笑うんだよ)

…とは言え。(来るぞ)

おしゃれに思われたい感情で選んだ節がないと言えばウソになる。(素直)

最近ね〜思うんすわ。自分に自信がなければ、ブランドに私のセンスを担保してもらうのもいいんじゃないかって。

自分の収入や美的センスに見合うものとして、ハイブランドを選んでいる人ももちろんいるだろうと思う。けれど「よくわかんないけどこれがいいらしい」「これ持ってると“わかってる感”出せる」みたいな判断基準で選んでいる人も絶対にいると思う。

おしゃれって割とそういうところがあって、高尚なフランス映画を鑑賞後、「深いな…」って感想で片付けちゃうとかさ。

本当に語彙を喪失するほどに「深いな…」と思った設定の自分を演じ切れたり、そんな自分に疑問も浮かばないならそれでいいんだけど。私なぞは「…わっかんねーな、これ、え?みんなわかって言ってんの?すごくない?」とか口に出しちゃうんだよね。(ちょいちょい空気が読めなくて嫌がられる)

そんなことを考えていたら、ひろゆきYouTubeで読書について話していて。相談者が「読書をして読解力をつけたいんだけど、年間何十冊も読む友だちのオススメが面白くない」と言っていた。それに対してひろゆきの解答は「本当の本好きは、自分が読んで面白かった本だけを素直に教えてくれる」「でもそうじゃない人は、自分が何冊読んだか謎アピールするし、ヘッセの『車輪の下』とか勧めてくる」「全然面白くないのに、これを面白いと思っちゃう俺カッケーみたいな」と言っていた。ほらやっぱり〜そういうのあるよね〜。

(ちなみに以前『車輪の下』を読んだけど、達成感以外の感想を抱けず困惑したことあったなと思い出した)

結局、本当に自分が好きなものなんて、究極、ないのかもしれない。Instagramもあるし、何を選ぶにもレビューはチェックしてしまうし、自分が自分の意志だけで選ぶものなんて本当に少ない。

は〜そんなん考え始めたら、自我ってなんだろうね、とか思っちゃうよ。(気をつけて、KakiokiなんてIQ2だから)