誰彼構わず侵食してくるほどの流行ってもう味わえないのかなぁ
恋人達はとても幸せそうに
手をつないで歩いているからね
まるで全てのことが上手く
いっているかのように 見えるよね
真実はふたりしか知らない
△出典:『appears』ayumi hamasaki/Kazuhito Kikuchi1999年
夕飯の買い物に行く道すがら、サンダル履きで畑の横を歩いていると、こんなフレーズを思い出した。(どんなシチュエーションだよ)
しみじみとすごいなぁと思う。
浜崎あゆみの『appears』という曲の歌詞なんだけどね。
何がすごいって、当時大したファンでもなかった私の脳に、きちんと刻みつけられているのがすごいと思ったんだよ。
街やテレビ、ラジオや友だちの鼻歌も使って、いたるところから流れていたんだから。
いつだったかワンピース(海賊王の方)が流行っている話をしたら、母が「ドラゴンボールほどじゃない」と言う。
ドラゴンボールは母が子育て真っ最中に流行していたんだけど、「あの時は老人でもドラゴンボールを知ってたからすごい」と言う。ネットなんかもちろんなくて。流行といっても、みんな水曜日19:00にテレビの前で正座してアニメを観るしかなかったあの時代に。マンガで読むなら、ジャンプや単行本を買うしかなかったあの時代に。情報が平等に分配される感じ。うっかり見忘れたり、その日に別の用事で観られないのは、本当に個人の責任だった。その時代でも老人がドラゴンボールを知っていたんだから、すごいってこと。
ほぅ…。
今の流行って”好きな人はディープに知識を漁れるけれど、知らない人にとっては存在しないも同じ”みたいな感じする。昔の流行は、実は観たことないけどイメージはついている。話題振られるとちょっと困るけど、それっぽい相槌は打てる。くらいに、生活に侵食していた感じがある。娯楽コンテンツの数そのものが少なかったんだね。
今は流行の賞味期限もすごく短くて、”乗り切れなかったらじっと耐えてやり過ごせばすぐ終わるから大丈夫”みたいな感じがする。
こういうのは時代の移り変わりだから、どちらが良い悪いってことではないけれど。でも強く長引く中毒性みたいな影響力を、もう一度体感したいなぁと思う。みんなが同じ話題を話すって、異様だけど面白かった。どこから仕入れたのか、自分の願望なのかもはやわからない謎の情報通がいたりね。(あれは本当になんだったんだ)
あと全然関係ないけどさ、『ロマンティックあげるよ』のオリジナル版が聴きたいんだけど、どうすりゃいい。YouTubeとかじゃなくて。カバーとかじゃもちろんなくて。ブルーハーツとかさ、聴きたいのに聴けない時はさ、中古CDショップめぐるしかないんか。我々はもう神様(音楽配信系サブスク)がその日の気分で与えてくださった曲しか聴けないのか。急激に聴きたくなったあの曲を求めて、中古CD屋をめぐる音楽ゾンビになる日も近い。松たか子とか。