ここに置いておきますね。

脳みそから取り出した駄文の書き置き

止まらない思考(反すう思考)から解放される方法

私の脳みそ内では、発達障害・うつ・豆腐メンタルの三つ巴が日々繰り広げられている。その中でも日常的に脳にへばりついて離れず、メンタル激削がれなのは『反芻(はんすう)思考』。

いつか経験した嫌な出来事、もっとこうすればな出来事、恥ずかしかった失敗、はらわたが煮えくりかえるほどの怒り、こんな感じのことを日がな一日ずーっと考えている。その臨場感たるや本当にリアルに再生される。厄介なのは、事実に則しているかは、また別の話だということ。脳内でのものなので(想像上の)尾ひれがついて、事実より厄介に再生されている場合がある。口に出さない思考は誰にも止めてもらえない。

反すう思考が最終的に向かう先は、自分。考え事のすべての矛先が自分に向かう。だからもっと◯◯しないきゃ、常日頃からこういう準備をしなきゃという課題を積んでいく。

 

みんな、こうなんだと思ってた。反すう思考、というより、思考は常にみんなが動かしているものだと思っていた。だから、医者に「(私の)発達障害の症状だね」と言われた時は心底たまげた。思い出に引っ張られる時期はあれど、休みなく常に、というのは、普通ないんだ。

反すう思考を、本当にやめたい。みんなの脳みそに、平等に起こっているわけではないと知ったら、余計に疲れるようになった。反すう思考が少ない人生が、この世には普通にあるんだ。あぁ本当に疲れる…久しぶりにじっくりと追い詰められていた。

そんな日が続いていて、明日も明後日も、今日より昨日より、確実に蓄積された疲労感の中で過ごすんだと思っていた。

 

今朝、思わぬカタチで楽になった。

ウソみたいに、バカみたいに、反すう思考から解放された。

 

まぬけで恥ずかしいけれど、夢にねコン・ユが出てきまして。コン・ユとは、私の中で世界最高イケメン認定している韓国人俳優なんですけども。そのコン・ユがね、夢に出てきたんです。(2回言うとさらにバカっぽい)

で、寝起きからなんかすごいハッピーなんですよ。

夢に芸能人出てくると、急に親近感湧くあの感じ。今回も御多分に洩れず、目覚めて以来コン・ユのことばっかり考えている。これから仕事だってのに、wikiとか見ちゃったり。へぇ〜クリスチャンなんだなぁとか、A型なんだなぁ〜とか。あ、歌出してるんだ、iTunes、売ってるじゃん!買お〜、今日の通勤で聴こ〜とかって考えてね、ハッピー。

すると会社に行くのが全然憂鬱じゃない。実際は会社に行くことは変わらず憂鬱なんだけれど、手段に伴う楽しみがあるから、気が紛れて目線が外れている。

そこで反すう思考が、バッタリぶっつり止まっていることに気がつく。あれほど止めたくても止まらなかったのに、苦しかったのに。自分のチョロさにちょっと笑う(そして引く)。

 

そもそも反すう思考を止める代表的なものとして、なんでもいいから唱えるっていうのがある。「ありがとう」とか「自分最高」とか、肯定的なものなら尚よし。

すると脳はそもそもマルチタスク(同時に違うことをする)が苦手なので、唱える方に脳の容量が使われて、反すう思考が止まる。

なるほど理論はわかったけれど、全然やりたくない(笑) そんなんぶつぶつ呟いて周りに心配かけるくらいなら、反すう思考して苦しんでた方がマシ。反すう思考を止める知識は持っていたけれど、応用して使いこなせずにいた。

だけどここのところは、本当に参ってしまって。社内で強めのトラブルが起こってね。詳しくはないけど、この記事で触れ、その後更新が途絶えたりしたヤツ。

社長に異議申し立てメールを作成する週末 - ここに置いておきますね。

それ以来、毎晩満身創痍でベッドに潜り、寝ても疲れが取れないし、日中は思考は止まらないし、気掛かりばかりが増える。

久しぶりに通院日がきたから淡い期待を寄せてみるも、今の先生はちゅるちゅるボーイ(※非常に若いの意)。打っても響かない。症状を訴えても具体的な解決策はなく、私が見落としているような盲点に気付かせてくれる提案もない。わかってはいたけれど、こりゃ本当の意味で自分でどうにかするしかあるまいな。

しばらく苦しんだのち、寝ても夢見が悪いからって理由で、ピンタレストでコン・ユの画像をダラダラ見ながら寝落ちした。

そしたら夢に出たよね、コン・ユ。ありがてぇ。

おかげでハッピーな朝だったわけで、おかげで何かのファンになるっていいなって気づいたんです。

 

アイドルとか芸能人とか、熱狂的に好きになったことって人生でなかったんだよね。きゃあきゃあ言うことで、思うツボ感とか、その他大勢(のファン)に埋もれる感じとか、ヤじゃん。(ひねくれ&友だちいないヤツの発言)

でも大人になってから、そういう相手(対象)がいるって生きやすいかも知れないとは常々思っていたんだ。楽しいかも知れないって。もし私の孤独な中・高校時代に、そういうものに心が開けてたら、毎日はもっと違うものになったかも知れないとね。

 

なるほど構造(システム)は理解した。

ここから私が、コン・ユ沼にハマっていくという途方もない旅に出るか、と言ったら、たぶん出ない。(出ないのかよ) おそらくこれはもう質(たち)みたいなものだろうと思う。それができてたら半生を無趣味で過ごすなんて苦行できんて。質(たち)じゃなくて業(ごう)だったらウケるな。

でもハッピーなことにはもっと素直でいた方が、絶対に楽しいんだなと知った。そわそわわくわくした目線なら、日常も見えるものが変わるだろうと気付けたのは大きい。

 

結局、私の顔にへばりついた目はふたつしかなくて、一度に送れる目線はひとつ。脳みそは小さくて、若干バグがあるものがひとつしかない。歩める日常や人生もひとつしかない。過去に戻れるわけじゃなし、未来に行けるわけじゃなし。ひとりという単位で、今という単位しか生きられないならば、もう少しだけ浮かれていたい。できる限り、いいもの、素敵なものだけ見ていたい。

反すう思考に囚われて、ぶっさいくに眉間にシワを寄せ、小さい脳みそをフル回転させて耳から血を流している場合じゃない。そうやって生きるには、人生は長すぎる。

 

反すう思考に困っている人がいたら、教えたい。

誰でもいいから、ちょっといいなと思う有名人をWikipediaで検索するんだ。そしてはじからリンクを踏んだり、楽曲を買ったり、作品を見るんだ。歌詞やセリフを書き出してもいいね。

くだらなく思ってもいいから。目的は反すう思考を止めることだから。

あ、芸能人をいきなりググるのはおすすめしないよ。ゴシップ感強すぎて疲れる。SNSもネット検索も、そのものがもう疲れる。

ピンタレストっていうアプリもいいよ、あれは画像が出るだけだから。自分だけのコレクション作れるしね。

ま、別に芸能人じゃなくてもいいんだけどさ。私のように無趣味な人の場合、無趣味が故に、余計に反すう思考が止められないんだろうなと思ってさ。一番手軽なものをおすすめした次第。

 

反すう思考を止めるために、無作為にコンテンツを眺めるのはね、すっごく疲れる。(ちょっと前の私)
ただ、目的があると疲れないんだよね、不思議。

 

自分の好きや素敵だけを、集めて眺めてニヤける。そんなんでも、思考は止められるし、ちょっと元気も出る。おすすめ。

 

あと、コン・ユかっこいい。