涙=弱み、ならば森へ行くウホ!
オリンピックがはじまった。
夫は“スポーツ”と名が付くものはなんでも大好き。
普段は追いかけていないようなスポーツですら、大まかなルールは把握しているし、1番強いチームや前回の優勝国ぐらいは把握して、ちょっとしたトリビアぐらいも話せる。
対してまったく興味のない妻、Kakiokiですよ。
興味がない、というか憂鬱。(そっちの方が深刻)
理由を考えたんだけど、別にスポーツが嫌いなわけじゃない。昔は体動かすのも好きだったから、自分は「観るよりやる派」だと信じて疑わなかったわけで。
でもなんか、そんな感じでもなさそうだぞ、と思い至る大人Kakioki。
オリンピックの開会式を眺めながら、体に表れる変化を再確認する。
全身に鳥肌、そして涙腺がグラグラ。
あぁ、これだ、この感じが苦手で憂鬱なんだ。
私、基本は泣かない&泣けない人間。「5回泣けます」みたいな煽りの映画は、おすまし顔で鑑賞を終える。泣ける本でも、泣けない。
「泣かせるぞ!」って意図が相手にあると見て取れるや否や、気持ちがササーッと冷めてしまうんだもの。
友だちといても、会社でも、家族の前でも、泣かない。彼氏といて嬉しいサプライズや、こちらの意図が伝わらないケンカの時など、(ここでタイミングよく泣けりゃぁな)とか思ったこと数知れず。(サイテーだな)
その反面、自分でもわけわからんところで泣く。
生命保険のCMとか、小田和正の歌声が流れただけで、パブロフの犬の如く泣く。
近所の2歳児が一生懸命さしていた傘が、かわいかっただけで泣く。
基本的に、人前で泣くことは恥ずかしいことと思っている節があり、弱みを見せては負けると思っている。(過酷な自然界の話?)
そんなだから、チームが優勝した時も、卒業式でも泣けなかった。(から周りの人たちに、コイツはそういうヤツみたいな目で見られたよね)
泣く=心の優しい人みたいな同調圧力はやめていただきたい。(そういう思考を周りは指摘しているんだぞ)
でも、私にもどうにも見れない映像がある。
それは、オリンピックやアイドルのコンサートなどの「人が頑張ってたどり着いた瞬間の切り取り」。これがどうにも見られない。
先に書いたように、その人への思い入れは一切関係なく鳥肌と涙腺グラグラが止まらない。
まったく関係ない、近所の小学校の運動会ですら、もうしんどい。
なんなのこれ。素直にとてもストレス。
感情がコントロールできないだけでもストレスだけど、鳥肌とか涙とか、他者から視覚的に確認できる変化が出てしまうのがもう。やめろ!という気持ち。
もし周囲に「なんだ、感動してんの?」とか言われた日にゃ…“不本意”という名の怒り弾をギュッと濃縮して、とんでもない密度の小さな弾丸を、相手の脳天にお見舞いしたくなるね。(大丈夫か)
そんなに弱みを見せられないって、やっぱり私は自然界に生きた方がいいんじゃなかろか、ウホ?
死期が近づくと、猫は姿を消すという。
人間の能天気な解釈では「飼い主に心配かけたくないのよ…あの子ったら…」なんつってな。
でも実際は「弱ってる姿なんて晒したら、他の獣にヤられるもんでね!自然界の掟&本能ッス」なわけですよ。
私も死期が近付いたら、本能的に森に行きたくなるんだろうか。今時、どの森も誰かの私有地だろうから、本当に申し訳ないね。