だんまり決め込む強さをください。
「やりたかった生き方ができてるけど、これでいいのか?」と考えているKakiokiです。
主に仕事で。
未経験で転職した会社で、自分の教育係的ベテランさんが速攻でデキ婚退職した場合ってどうなると思う?
そうだね、うつ病だね。
もともとひとり、男性の営業さんが退職したのを機に、私が入社したんす。
そしたらあなた、立て続けにベテラン女性が青天の霹靂のごとき退職。
業界未経験・入社3ヶ月の私が、ベテランさんがデッカく開けた穴にはめられることになり、地獄の日々。
右も左も分からずどころか、前も後ろも分からない。何度も言うけど業界未経験。
「こんなはずじゃなかった」と思うヒマもないくらい覚えることも仕事も多くて、月100時間の残業。
たった24時間のOFFが取れないことが数ヶ月続いたし、本当にしんどかった。
ちょっと前まで駄菓子屋で、子ども相手のバイトをしていたような私が、業界のプロにガッカリされたり呆れられたり怒られたり。
「あのベテランさんからちゃんと習った?あの人みたいにならなきゃね」とか言われた。
→引き継ぎゼロで、青天の霹靂みたいに退職したあの人みたいになっていいの?正直、クッソなりたいよ!
「なんでキミみたいな素人が対応を?」とかも言われたな。
→それ、私も思ってる。あと上司に言って欲しい、マジで。怒り狂って「担当からハズせ!」くらい言ってくれると助かる。
死ぬかと思ったよ、本当に。
1年半ほどそんな日々を続け、仕事にちょっと慣れて、お客さんに感謝されたりし始めた頃。
仕事は相変わらず忙しかったけど、夫と結婚。
その直後、朝、ベッドから起きれなくなる。
体が尋常じゃないくらい重くて、腕が上がらない。
足をベッドから出せない。
涙が止まらない。
正直ね、超ホッとした。
「ここまで動けなかったら会社行けない!やった!」ってね思った。(超かわいそう、私)
結局のところうつ病で、そこから7年半の時間を布団の中で過ごした。
「そろそろ仕事でも探そうかね、無理かね」なんて自問自答してたところに、その会社から「バイトで戻ってこないかい?」と声が掛かる。
同じ会社だから業務も、人も、慣れている。
違うポジション(裏方)だから、あんな目には合わない。
そういうことなら、と、復帰。
今はま〜ゆるーくやっておる。
ずっとこんな働き方がしたかった。
ある意味で夢が叶った。
叶ったけれども、なんだか自分の働き盛りな年齢を、無駄遣いしている気がしてならない。
余暇かよ、みたいな働き方。(※世間比)
ないよりはいいよね、みたいな収入。(※世間比)
私としては、勤労という奇跡を、奇跡じゃなくなるように頑張っているととこではあるが。
まぁ今でも絶賛通院中だし、疲れが溜まったころに(結局)定期的に体調崩してるし。
「こんなんでええんですか?」な毎日こそが、絶妙な塩梅なのかもしれない。
激烈猛烈に働いていたころより、時給で言えば2〜3倍稼げている矛盾。
正社員の時は残業ゼロでも、残業100時間でも、もらえるお給料変わんなかったからね。その点、今は最高ですよ。
(時給制最高なんて、本当に世知辛いなぁ)
(なんかさぁこんなの、間違ってるな〜と思うよ本当)
でもこれが本当に望んでいた働き方だったのかって言ったら、んんん…。
ぜんぶをバランス良くって、なんでこんなに難しいのかね。
そういえば週末に、腕時計の修理を出したんだけど。
お店でね「納期については目安しか言えなくて…」って言われたのね。
その目安がすごくて「だいたい3週間…でも年末年始挟むので、1月中旬くらい…見ていただければ…」って言われて。まだ12月にもなってないのに、私、目安にならない目安に笑っちゃってさ。(そもそも3週間じゃ年末年始挟まないし)
「幅すごいな(笑)急がないので全然いいですよ〜」って返したら「すみません、納期に関してはこちらがどれだけ催促しても、メーカーがいつもだんまり決め込むんです」って。
メーカーがいつもだんまり決め込むってすごいワード。
そして超ありがちワード。
そんな風にある種、強くいたいよ。
私なんてスケジュール確認されただけで、催促と受け取るからね。(自滅コース)
は〜生きてくって大変な〜。
ピアスを開けたことがビッグニュースだったあの頃。今はどうだ。
1年前くらいに、親子ほど歳が離れた従姉妹から、自撮りが送られてきた。
従姉妹はもともと私への報告がある際は、自撮り送ってきがち。
「誕生日プレゼント届いた!」(withプレゼント)
「大学の入学式行ってきた!」(at正門)
「成人式の前撮りした!」(at写真館)
私は彼女にとって、姉と母の中間みたいな存在なので、毎度微笑ましく送られてきた画像を見てた。
ところがその日は、微妙な自撮り。照れ隠しの変顔はまぁ、無視して。(無視するな)
文章を読むと「ピアスを開けた!」とのこと。
あ〜たしかに耳に、今までなかったポッチが付いておるわい。当たり前に「かわいいピアス送るわ〜」と返信。それ以降、そのことを今の今まで思い出さなかった。
そして1年以上たった今日、あぁそうか、ピアスを開けたって、あの子にはビッグニュースだったんだと、理解した。(激遅)
人の痛みも、喜びも、ビッグニュースも、理解できる人間になろうと、いつも考えている。ピアスなんて、そのすべてに該当する稀な例じゃないか。
痛みを伴うけれど幸せ!なんて、あとは出産くらいか?歯列矯正もか。手術して元気になることもそうか。正直このあたりは、「よかったね!お疲れ様!」とすぐに思いついて言葉に出せる。労を労って、心から祝福できる。
でもピアスがビッグニュースであることに気がつくのには1年かかった。
私は「ピアス開けてもう10年くらいかな?」って、10年くらい言い続けてた、とこの記事を書くにあたり、気がついた。(私のピアスの穴はもう成人しとんのか、マジか)
自分が開けた時のことは、今でも覚えている。左右いっぺんに、母と兄にやってもらった。ピアッサーでバチンバチンとね。
(痛みは一度に終わらせたいタイプ)
(親知らずも一度に二本抜いた)
(魂が死んだ)
そして少し間を置いて、3つめは自分でやった。痛かったけれど、あの時たしかに高揚した。大人になったんだと思った。
そういえば当時はまだ「ピアス=チャラチャラしてるヤツ」って認識があったなぁ。「親にもらったカラダに!?」みたいな、そういう拒絶感というのか。日本人にとって、ピアスという文化が新しかったんだよね。根付いてなかったんだと思う。ふふふ、思い出すとちょっとかわいい。
人生でやってよかったことって、いくつかあるけれど。ピアスはまず間違いなく、上位にランクイン。
(あと地味に結婚も、相手が夫でよかったとしみじみ思う)
(夫じゃなかったら今頃、バツイチか2ぐらいいってた上に、現在子持ちのシングルマザーで、しょーもない彼氏と貧乏暮らししてたと思うわ)
それぐらい私にはピアスって特別なもの。そんな風に振り返れるのに、従姉妹のピアスデビューに関しては「?」だった。
言い方が難しいけれど、超素直に言うなれば「あ、なんだ、そんな程度のこと」みたいな感じだったんだよね。本人的にはどんな経緯で、とか、今どんな痛みで、とか。ファーストピアスをどれにした、みたいのを話したかったはず。私だってそうだったから。けれど、今の私には「あ、なんだ、そんな程度のこと」になってしまう。
人は大きな変化を受け入れたり、受け流すことで大人になる。そうやって繰り返してくうちに、ピアスを開けたことの重大さはどんどん小さくなる。終いには日々の幸せを「再」発見するために、小さな変化に「意識的に」目を向けることに手を出す。小さな変化なんて、日々そこら中に落ちているのに。意識しないと通り過ぎてしまうんだよね。
最近、気分転換にピアスをふたつ買った。派手で大ぶりなものと、シンプルで小さいもの。極端なチョイスだった。正直、それぐらい露骨なメリハリをつけないと、もうなんだかわからないんだよねー。
大人になるって、麻痺することなのか。20代後半くらいまで、多感すぎて、感覚がキンキンに研ぎ澄まされてて、無駄にキズついたり、無駄に感動したりしてすごく疲れていた。今はこれで、ちょうどいい。
さて、従姉妹の誕生日も近いし、プレゼントでも選ぼうかね。
よっこいしょ。(ババァか)
韓国ドラマは違和感がクセになる
反すう思考を止めたくて悩んでいた時に、コン・ユが夢に出てきた記念で『トッケビ』を観返した。(頭悪く思わないで、むしろ義理堅いんだよ)
夫を「アジョシ」と呼んでみる。
「なぁに、それ」と返事してかわいい。
意味も知らんで。
(アジョシ=おじさん)
前に観た時は、サニー社長の絶世の美人扱いが「?」だったのだけど。2周目になると、ストーリーを理解しているせいで美人にしか見えない。
ヒロインのコはネットでテッパンの下世話ネタ、“かわいいのか?論争”に巻き込まれている。(なんつう世の中だよ)←サニー社長をどうこう言っていた口でお前
正直なところ、彼女をかわいくないという人に対して「はっはーん?まだチミはそのレベルかぁ!」としか思わん。(心の底からウザい) 愛嬌がよ、溢れ出てるんよ。
あ〜このコ、『ウンギョ 青い蜜』のコなんだなぁ。タイトルから察していただける通り、いろんな意味ですっごい内容だった。わかるわー。あんなコいたら、おじさん参っちゃうヨ。(Kakiokiおじさん登場) 掻き乱してくるんだわ。
韓国ドラマって、独特の違和感がある。
…と言っても、私はドラマだと『トッケビ』『コーヒープリンス』あとは『イカゲーム』ぐらいしか観たことない。
『ビッグ』は結局、観切れなぁったなぁ。
偶然を含め、清々しいほどに全コン・ユだったと今、気がついて私は猛烈に恥ずかしい。
韓国映画の方は結構観てる方だと思う!そっちはコン・ユ率低い!ホント!だって重厚な陰鬱系映画ばっかり観てるから!(なんの言い訳)
『トッケビ』では登場人物が、異常に飲み物を飲む。そんな飲む?ってくらい飲む。よくよく見てると、同じパッケージの飲み物の登場回数がやたらに多い。日本でいうグリーンダカラみたいなやつかなぁと、勝手に味を想像力する。そのグリーンダカラ(仮)が、いろんなとこの冷蔵庫にみっちり入っている。ホテルとか勤め先とか家とか、どこシーンでも冷蔵庫にはグリーンダカラ(仮)がみっちり入ってる。
さらによくよく見てると、俳優は必ずパッケージが画面(カメラ)の正面を向くように飲んでいるのね。ボトルを握る手は、指が商品名にかからないように持っておる。
…ははーん。提供、ですな?(うざい)
あと謎タオル類。バスマットも。あのbad boy的なアレは、韓国で有名ななんかのブランドなんだろうな。(bad boy懐かしい…わかる人は確実に同世代)
他の違和感は本屋さんのシーンで起きた
ドラマのキーワードになりそうな絵本を、手に取るシーン。
その絵本に、謎の全面モザイク。なぜ。
これは制作側が作った小道具じゃなくて、既存の絵本(誰かの著作物)を使ったってことなのかね?
コン・ユの正体がトッケビだと知ったヒロイン。彼のことをもっと知ろうと、絵本コーナーで片っ端からトッケビ関連の昔話を漁るのよ。(かわいい)
そこでたぶん、韓国語でトッケビ=鬼の意味だって、日本人視聴者は理解できるシーンなんだけどね。
ヒロインが手に取る絵本の、表紙も内容も、全モザイク。結局トッケビってなんなんじゃ!ズンドコベロンチョかよ!※世にも奇妙な物語ネタ
おかげで1回目に観た時、トッケビ=鬼だという理解にたどり着くまでにタイムラグが発生。想像力と、観察力からの推察ででどうにか辿り着けた。(ネタバレや解説は、先に読まない派)
このモザイクはどの段階でかかるんだろう。
死神に渡すサニーちゃんの電話番号も、初めはモロ番号出てたよね、心配になるくらいモロ。で、そのあとのストーリーでは、番号の一部にやっとモザイク入ってさ。でもモザイクかける位置がまちまちなの。
“K◯◯ioki”の次に画面に映されるのが“Kak◯◯ki”みたいな。ガバガバよ。
『◯に入る言葉を書いて応募すると、ヨーロッパ旅行プレゼント!』『◯ー◯ッパ』みたいなさ。もう絶対ヨーロッパじゃん!っていう昔あったアレ。
以前見た他のドラマでは、着ている衣装にモザイクがかかっていた。ブランド名がワンポイントで付いてたんだろうね。
めっちゃ気になるんだよね、モザイク。
ちなみに絶対デザインFILAだった。(いらん情報)
これって、どの段階でかかるんだろうね。(アゲイン)
韓国で放映する時点でかかっているなら、そもそもその衣装を着るなやと思う。
国外に配給する段階でかかるのかなぁ。
そんなことばかり考えながら観ていたら、『トッケビ』でまた謎のモザイク処理に遭遇した。
悪いヤツが主人公に向けたナイフの刃部分、全部にモザイク。何その配慮。
だって主人公のトッケビ(コン・ユ)には、がっつり長い剣刺さってるのよ?胸に。そして(設定上は)常に。
それにはお咎め?配慮?(つまりモザイク)なしで、なぜちっぽけナイフにはモザイクかけるのよ。
不思議。
カフェの壁に飾られてた絵にも、モザイクかかってたな〜。あれ絶対、マイケルジャクソンの『XSCAPE』のジャケ写だわ。モザイクの意味!
長くなったけど、最後におかわりトッケビでお勉強になった知識を共有させて欲しい。
韓国映画とかドラマでいつも気になってたことがあって。それは、彼らの舌打ちあからさま問題。
「チッ」って舌打ちが「チッ」って言葉だなと思ってたのよ。ずいぶんはっきりと「チッ」って言うなって。音じゃないんだよね。「チッ」って言うの。どんなに演技が上手い俳優もさ、舌打ちだけ取ってつけたようなオーバー表現だなと。そしたらあなた。
韓国語で「チ」が、日本語で「まったく」って意味だった。
音じゃなくて言語だったかぁー!
「チッ!アイツは」じゃなくて「まったく!アイツは」ってことかぁ。そりゃちゃんと発音するわい。
は〜コン・ユかっこいい〜。
(それにしても死神の唇のテカテカさよ)
(あのグロスは絶対“アプリコットオレンジ”的なネーミングのカラーだと思う)
(唇テッカテカのテッラテラ)
(あと男も女もファンデの色が、首と合ってなくて、不思議)
クセになるわぁ…この後は『マイネーム』観る!
(これはコン・ユさすがに出ないよね!?)
得意と不得意の差が開きすぎてる場合の職探し
絶対にできない職業ってある。資格の有無以前に、自前の機能の有無で。
私はマルチタスクができない。苦手、とかじゃなくて、不可能に近い。脳みそのどこかがヌーーーーーって無音状態になる感じ。そのヌーゾーン(仮)に入ってしまうと、処理すべきことがトロンとした透明で分厚い何かに包まれて、無音になる。じゅんさいのようなイメージよ。なめこの方がわかりやすいけど、じゅんさいの方が近い。(トロン厚がある)
単純作業ならギリできるものもあるけど、終えた後の疲労感が半端じゃない。(し、たぶんひとつずつやった方が速い)
その中でも、群を抜いてできないと確信している仕事がふたつある。
- 交通整理
- サブウェイ(地下鉄じゃなくてサンドイッチ屋さんの方)
交通整理は道路に出て、一本道で対向車同士を“あっちを止めて、こっちを行かせて、こっちを路肩に寄せさせつつ、あっちをすり抜けさせる”みたいな仕事。伝わる?あれ、私がやったら、派手に正面衝突させる自信あある。意図せず真っ向勝負!みたいなの仕掛けちゃう。怖い。
サブウェイは「バンズ焼いて〜ピクルス抜いて〜オリーブ多めで〜オニオンと〜ベーコ…あ!やっぱりサラミ!」みたいなやつ。あれムリ。
同じような理由でスタバもできない。ヘッドセットでドライブスルーを対応しながら、ドリンクを作りつつ、カウンターで提供もして…ってあれ脳みそどうなってんだろう。脳の構造が、アインシュタインやホーキンス博士と同じなんだろうなと思ってる。
この仕事しかない世界になったら、私は無職になる。頑張ってどうにかなる話じゃないからね。勤務先にもお客さんにも迷惑掛けるし。(真面目)
遺体解剖室の掃除係のクチがあれば、そっちを選ぶと思う。異常に怖がりではあるけれど、一生懸命働きます。掃除に関しては、結構いい仕事します。(真面目と自信)
マルチタスクは苦手なんだけど、単純作業は異常に得意。工場のライン作業は、神がかり的に得意。ガラケーにフィルム貼る仕事で、配属2日目でベテランさんに褒められたよ。(短期スポットバイト経験者)
あと、PCを起動→バグチェック→シャットダウン→型番控えるの作業も、ミスがない上に速かった。これもスポットバイトで2週間行っただけだったのに、従業員としてスカウトされた。超異例らしい。丁重にお断りしたけど。
処理済みのハードを抱えて運ぶのが、馬鹿みたいに重かったんよ。作業が速いから、必然的に運ぶ台数も多いのよ。腕伸びちゃう。あの仕事を2週間以上やったら、チンパンジーみたいな歩き方になっちゃうよ。
私のこの特殊能力の欠点は、自分が全然楽しくない作業で発揮されるということ。得意と好きは違うらしい。
洗濯物を畳むのも異常に速いし。(でもやらない)(やれ)
夫に「得意なら、自動的に好きにならない?」と不思議がられる。(夫は割とイノセントな心の持ち主)
そうなの?そういうものなの?
どうしましょうね、職探し。
(実は転職を視野に入れつつ生きてるところ)
(だったらもっと真面目に考えろ)
毎日更新をやめたKakiokiです、どうも。
100記事いくまでは毎日更新するって決めてたし、このブログ内でも結構言ってたんですが。前言撤回するよ、ガンガンするよ、めっちゃする。(そこの強気はなんなの)
きっかけとしては、ブログと関係ないところの日常でダウンしまして。会社でね一悶着、派手目なのがあったんす。それからは正直、ブログの更新がどうとか、一切思い出しもしなかったんです…とか言い切っちゃえば、清々しいほどに最低な感じして、そんな自分に憧れる(?)けれども。開けたくもない蓋をこじ開けてみる。
実際のところ、あれだけ楽しみながらも、それなりに必死でブログを更新してたのに。本当に余裕がなくなると思い出しもしないんだな(ほぅ…)とね、新しい発見をしたような、妙に合点がいったような。だって私は、私だから、そりゃそうなるんだけども。
実際問題、そりゃ毎日生きてりゃなんかしらありますよ。いいことも悪いことも。それを書いて、忘れられる場所、残しておける場所がブログだと思う。
自分のブログを持っている人の多くは、文章を書くのが好きな人。そして、好きや得意にしたい人。物事を整理したり、噛み締めるために文章を書く人もいる。とにかく、発信の手段として文字を選んだ人が集まっているところが、ここなんだと思う。だけど降りかかった出来事によっちゃ、書けない、どころか、文字に起こすことすら思いつかないくらいに追い詰められることもある、よね。
私自身“気まぐれ”という言葉に憧れる。猛烈に憧れる。そんな風に軽やかに自由に生きたい。自他共に認める、気まぐれ自由人になりたい。
でも実態は”書けるとき書いて、書かないときは、言葉を選んでまで「書けない」と言い訳するだけの自分”じゃないかとか考える。(根が真面目過ぎて根腐れ起こすタイプ)
でもさ〜そこまで自分を責めるほど、更新は重要なことじゃなくない?仕事じゃないんだから。そんな怨念みたいな執着心書かれたブログなんて、笑えない・面白くない・引くの欲張りアンハッピーセットじゃん。(まぁちょっと読みたいけど)なんぼのもんだと思ってるのよ、自分を。
いっぱいいっぱいの時にブログの存在を思い出さなかったのは、自分が持てる分量から零れ落ちたから。拾おうとムリに屈んだりしたら、他のもっと大事なものを落としてしまうよ。
超絶関係ないけど「自分が振った元カレをやたらに恋しく思う時って、実際に欲してるのは、元カレじゃなくて人肌だったりするよね」…っていうのを、慎重に言葉を選んで言わなかったせいで、悩んでる(?)友だちに怒られたり泣かれたりしたっけな…みたいなことを思い出したので書いておく。(超絶どうでもいい)
決して正論突きつけて意地悪をしたかったわけじゃなく。シンプルな構造を説明することで「あ〜なんだ〜そういうことか〜!そうかも〜w」って、友だちの気持ちを軽くしたかっただけなのになぁ。とんだ大失敗。
だって自分から振った相手には、別れたかった理由が絶対にあったわけで…とか言うのも、怒られるから難しい。あの時、私がとるべき行動は、ひとこと「わかるよ」って言って、寄り添うことだったんだ。あまり納得はしていないが。
あ、超絶どうでもいい話が長くなった。(これがひとつ前の記事でいうところの反芻思考だ!恐ろしい!)
止まらない思考(反すう思考)から解放される方法 - ここに置いておきますね。
ブログ更新の話に戻って。
どこかで見たり聞いたりした、まずは100記事・1000文字以上/1記事ルールみたいなのに囚われすぎてたなぁと。これだってはじめは、真偽のほどは定かじゃないけど覚えやすいから目安にしとこ、くらいのものだったのに。
IQ2のくせにデータ好きが高じて、アクセス解析も面白くて毎月やってた。けれど今月に関しては興味深い反応がなかった。毎日更新をしなかったのも関係していそう。更新が途絶えた日、きちんとアクセスゼロだったもの。(そこだけは面白かった)
自分が楽しくなければ、楽しくない。そんな風に考えてもいいのかなと。
そんなことを考えたんです、この小さい脳みそで。ババババッと書いて投げるより、丁寧に言葉を探しながら文章を書いていこうと思ったよ。
おしまい。
止まらない思考(反すう思考)から解放される方法
私の脳みそ内では、発達障害・うつ・豆腐メンタルの三つ巴が日々繰り広げられている。その中でも日常的に脳にへばりついて離れず、メンタル激削がれなのは『反芻(はんすう)思考』。
いつか経験した嫌な出来事、もっとこうすればな出来事、恥ずかしかった失敗、はらわたが煮えくりかえるほどの怒り、こんな感じのことを日がな一日ずーっと考えている。その臨場感たるや本当にリアルに再生される。厄介なのは、事実に則しているかは、また別の話だということ。脳内でのものなので(想像上の)尾ひれがついて、事実より厄介に再生されている場合がある。口に出さない思考は誰にも止めてもらえない。
反すう思考が最終的に向かう先は、自分。考え事のすべての矛先が自分に向かう。だからもっと◯◯しないきゃ、常日頃からこういう準備をしなきゃという課題を積んでいく。
みんな、こうなんだと思ってた。反すう思考、というより、思考は常にみんなが動かしているものだと思っていた。だから、医者に「(私の)発達障害の症状だね」と言われた時は心底たまげた。思い出に引っ張られる時期はあれど、休みなく常に、というのは、普通ないんだ。
反すう思考を、本当にやめたい。みんなの脳みそに、平等に起こっているわけではないと知ったら、余計に疲れるようになった。反すう思考が少ない人生が、この世には普通にあるんだ。あぁ本当に疲れる…久しぶりにじっくりと追い詰められていた。
そんな日が続いていて、明日も明後日も、今日より昨日より、確実に蓄積された疲労感の中で過ごすんだと思っていた。
今朝、思わぬカタチで楽になった。
ウソみたいに、バカみたいに、反すう思考から解放された。
まぬけで恥ずかしいけれど、夢にねコン・ユが出てきまして。コン・ユとは、私の中で世界最高イケメン認定している韓国人俳優なんですけども。そのコン・ユがね、夢に出てきたんです。(2回言うとさらにバカっぽい)
で、寝起きからなんかすごいハッピーなんですよ。
夢に芸能人出てくると、急に親近感湧くあの感じ。今回も御多分に洩れず、目覚めて以来コン・ユのことばっかり考えている。これから仕事だってのに、wikiとか見ちゃったり。へぇ〜クリスチャンなんだなぁとか、A型なんだなぁ〜とか。あ、歌出してるんだ、iTunes、売ってるじゃん!買お〜、今日の通勤で聴こ〜とかって考えてね、ハッピー。
すると会社に行くのが全然憂鬱じゃない。実際は会社に行くことは変わらず憂鬱なんだけれど、手段に伴う楽しみがあるから、気が紛れて目線が外れている。
そこで反すう思考が、バッタリぶっつり止まっていることに気がつく。あれほど止めたくても止まらなかったのに、苦しかったのに。自分のチョロさにちょっと笑う(そして引く)。
そもそも反すう思考を止める代表的なものとして、なんでもいいから唱えるっていうのがある。「ありがとう」とか「自分最高」とか、肯定的なものなら尚よし。
すると脳はそもそもマルチタスク(同時に違うことをする)が苦手なので、唱える方に脳の容量が使われて、反すう思考が止まる。
なるほど理論はわかったけれど、全然やりたくない(笑) そんなんぶつぶつ呟いて周りに心配かけるくらいなら、反すう思考して苦しんでた方がマシ。反すう思考を止める知識は持っていたけれど、応用して使いこなせずにいた。
だけどここのところは、本当に参ってしまって。社内で強めのトラブルが起こってね。詳しくはないけど、この記事で触れ、その後更新が途絶えたりしたヤツ。
社長に異議申し立てメールを作成する週末 - ここに置いておきますね。
それ以来、毎晩満身創痍でベッドに潜り、寝ても疲れが取れないし、日中は思考は止まらないし、気掛かりばかりが増える。
久しぶりに通院日がきたから淡い期待を寄せてみるも、今の先生はちゅるちゅるボーイ(※非常に若いの意)。打っても響かない。症状を訴えても具体的な解決策はなく、私が見落としているような盲点に気付かせてくれる提案もない。わかってはいたけれど、こりゃ本当の意味で自分でどうにかするしかあるまいな。
しばらく苦しんだのち、寝ても夢見が悪いからって理由で、ピンタレストでコン・ユの画像をダラダラ見ながら寝落ちした。
そしたら夢に出たよね、コン・ユ。ありがてぇ。
おかげでハッピーな朝だったわけで、おかげで何かのファンになるっていいなって気づいたんです。
アイドルとか芸能人とか、熱狂的に好きになったことって人生でなかったんだよね。きゃあきゃあ言うことで、思うツボ感とか、その他大勢(のファン)に埋もれる感じとか、ヤじゃん。(ひねくれ&友だちいないヤツの発言)
でも大人になってから、そういう相手(対象)がいるって生きやすいかも知れないとは常々思っていたんだ。楽しいかも知れないって。もし私の孤独な中・高校時代に、そういうものに心が開けてたら、毎日はもっと違うものになったかも知れないとね。
なるほど構造(システム)は理解した。
ここから私が、コン・ユ沼にハマっていくという途方もない旅に出るか、と言ったら、たぶん出ない。(出ないのかよ) おそらくこれはもう質(たち)みたいなものだろうと思う。それができてたら半生を無趣味で過ごすなんて苦行できんて。質(たち)じゃなくて業(ごう)だったらウケるな。
でもハッピーなことにはもっと素直でいた方が、絶対に楽しいんだなと知った。そわそわわくわくした目線なら、日常も見えるものが変わるだろうと気付けたのは大きい。
結局、私の顔にへばりついた目はふたつしかなくて、一度に送れる目線はひとつ。脳みそは小さくて、若干バグがあるものがひとつしかない。歩める日常や人生もひとつしかない。過去に戻れるわけじゃなし、未来に行けるわけじゃなし。ひとりという単位で、今という単位しか生きられないならば、もう少しだけ浮かれていたい。できる限り、いいもの、素敵なものだけ見ていたい。
反すう思考に囚われて、ぶっさいくに眉間にシワを寄せ、小さい脳みそをフル回転させて耳から血を流している場合じゃない。そうやって生きるには、人生は長すぎる。
反すう思考に困っている人がいたら、教えたい。
誰でもいいから、ちょっといいなと思う有名人をWikipediaで検索するんだ。そしてはじからリンクを踏んだり、楽曲を買ったり、作品を見るんだ。歌詞やセリフを書き出してもいいね。
くだらなく思ってもいいから。目的は反すう思考を止めることだから。
あ、芸能人をいきなりググるのはおすすめしないよ。ゴシップ感強すぎて疲れる。SNSもネット検索も、そのものがもう疲れる。
ピンタレストっていうアプリもいいよ、あれは画像が出るだけだから。自分だけのコレクション作れるしね。
ま、別に芸能人じゃなくてもいいんだけどさ。私のように無趣味な人の場合、無趣味が故に、余計に反すう思考が止められないんだろうなと思ってさ。一番手軽なものをおすすめした次第。
反すう思考を止めるために、無作為にコンテンツを眺めるのはね、すっごく疲れる。(ちょっと前の私)
ただ、目的があると疲れないんだよね、不思議。
自分の好きや素敵だけを、集めて眺めてニヤける。そんなんでも、思考は止められるし、ちょっと元気も出る。おすすめ。
あと、コン・ユかっこいい。