ここに置いておきますね。

脳みそから取り出した駄文の書き置き

ホラーはダメなのに、ゾンビはイケる心理

私、Kakiokiは、ホラーが一秒も観られない。CMも無理。

ホラーをエンタメと捉える母に「想像の方が怖いから、見てみ」と言われ、『女幽霊』や『リング』は観た。確かに、私の想像の方が怖かったね。観たほうがまだ楽だった。でも嫌だ。

ホラー好き界隈で酷評された『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』、あれはもう、最強に怖かった。
なんで酷評されたかっていうと、本人(?)、本丸となる存在が一切姿を現さなかったから。

私はそのおかげで、想像力がリミッター振り切れまくり。実態がないものが怖すぎる。結局、自家中毒で自滅し、何年も引きずった。

その反面、人が人を殺す映画は平気。だから『SAW』とか全然観れちゃう。
(ホラー好きの友達には、それの方が異常だと言われた。彼女は逆にスプラッター系が一切無理)

だって”人“という実態があるからね。

そしてゾンビ、これも平気。

人が人を殺す→→→幽霊が人を殺す、の間のグレーゾーンに、ゾンビがいる、と思っている。私にとって、ゾンビは人間寄りなんだね。だからセーフ。

 

ゾンビモノのストーリーは大抵、人間模様が色濃く出る。そこもお気に入りポイント。

ゾンビモノに胸打たれる感じが、何に由来するかって考えてたんだけど、『新 感染ファイナル・エクスプレス』観て判明した。

あれはさ、恐ろしさの対象であるゾンビが、元人間だからなんだね。ゾンビになるほんのちょっと前まで、一緒に逃げていた仲間だったり、一緒に闘っていた家族だったり、恋人だったりするからなんだなって。そこに感情を突き動かされるんだなぁってね。


そしてゾンビモノの定番といえば、自己犠牲シーンね。私、自己犠牲シーンにはしこたま弱い。大好物シーンだよ。

「ここはオレに任せて先に行け!」でね、毎度嗚咽しちゃう。

確実にゾンビ側に行ってしまうけれど、ギリギリまで人間の理性を持ったまま散りたい、みたいなさ。その人物が先に行く相手に、心配かけまいと微笑んだりしたらもう、それはもう嗚咽。

登場人物がブチ切れ or ヤケになって、気が触れた無双仕掛けるシーンも嗚咽。

血縁関係はない子どもと大人に、信頼関係が生まれたんだなって分かるシーンも嗚咽。

もう、嗚咽。(何度言うんだよ)
嗚咽祭り。(とんでもない奇祭)


ゾンビモノってホント、たっくさんドラマをねじ込めるよねぇ。


ウォーキング・デッド』も初期はそういうのが楽しかったんだよなぁ。今はゾンビあんまり出ないよ。人間 VS 人間が過ぎるね。忘れた頃に“思い出しゾンビ”みたいに出してくる感じよ。


あとさ、ゾンビモノの良さって、“ゾンビの不完全なマヌケさがかわいい”っていう謎母性が出る。

人間が誰かをかわいいと感じる要因のひとつに『不慣れ感』があると思う。
お父さんが作る、手元がおぼつかない振る舞い料理とか、子どもが行進するのに手と足がうまくできないとか、そういうのってかわいいじゃない。愛しいじゃない。

それをね、ゾンビにも感じるんだよね。(末期)

あ、そっかそっか、ドア開けられないんだ〜開け方わからないか〜とか。あ、音したらそっち行っちゃうんだ〜とか。目ぇ悪いから、暗いと見えないか〜とか、そういうのね。「ふふっ」ってする。
明らかに犬猫を愛でるときの目してると思う、私。


結論:ゾンビはかわいい、ゾンビは愛しい。