ここに置いておきますね。

脳みそから取り出した駄文の書き置き

サングラスの偉大さと、一度だけの夏

夏の憂鬱は、眩しさからくる目の痛み。涙がギュンギュン出るから、アイメイクなんぞ自宅を出て、ひとつ目の横断歩道で消え去る。痛みの種類としては、日焼け止めが目に入った時と同じ痛み。(なにかの因果関係がありそうだ)

 

ずっとサングラスが欲しかったのに、気恥ずかしさで購入を先延ばしていた。しばらくはUVカットの伊達メガネをしていたけど、視力が落ちて本物メガネを掛けるようになったら、じゃあメガネで良くない?となって、それもクローゼット行き。数年ぶりに出てきた伊達メガネはかわいかった。せっかくだから掛けようかな、と思ったけど、じゃあメガネで良くない?となった。

年齢を重ね、気恥ずかしさを凌駕するほどの必要性を感じて先日、遂に購入。

偏光レンズが良かったんだけど、それ以外は正直よくわからない。

ネットショップを眺めても価格も一定のところまでは機能と値段が比例するんだろうけど、それ以降は私にはわからないブランドの力がはたらくよね。もしくは、はたらいていそうに見せかけて、ただ値段を吹っかけられているだけだったり。謎ブランドで雑にイタリアを連呼するサイトはなんなんだよ。おしゃれ界にとってのイタリアは、マツコ・デラックスが褒めたコンビニスイーツ並みの安心感があるんか。

結局、通院帰りにアウトドアブランド、コールマンのサングラスを買った。アウトドアブランドって太陽のことよくわかってそうじゃん?安心感が違うよね。(私にとってのマツコ・デラックス的指針)

とは言え、使うのは週1回の通勤と、近所のスーパーだけ。(気恥ずかしさを感じてる人間が、一番使えなさそうなスポットだけど)めっちゃくちゃ快適。

サングラスを掛けているすべての人が同志に見える。(わかってますな)(おや、あなたもですか)みたいな視線を投げかけたくなる。逆に掛けていない人には、サングラスの素晴らしさを力説したくなる。

 

どこかに、出かけたくなる。海とか。

 

根っからのインドア派で出掛けたい欲は少ないけれど、これだけ外出自粛が続くと、私のなかの微々たるアウトドア精神が暴走しそうだ。
仕事中「プールに行ってもみくちゃにされたい」「河原でバーベキューして、ゲリラ豪雨でキャーキャーしたい」「海の家で隣のテーブルの陽キャとウェーイって乾杯して仲良くなり、去り際にビール奢りたい」をポツリポツリひとりごちてたら、すごく心配された。

 

「17歳の夏は人生で一度しかない」みたいなセリフ、あるけどさ。どの年齢でもそうなんですけどっ!?っていうね。”自分だけが特別”みたいな、おごり高ぶった考えは捨てていただきたい。

みんな特別、みんなオンリーワンなんやで。世界にひとつだけの花なんやで。みたいな。(バカか)