ここに置いておきますね。

脳みそから取り出した駄文の書き置き

荷物が多い人間の頭の中は、承認欲求に囚われているのかもしれない話

私は荷物が多い。身軽に出掛けられる人間になりたい。

学生の頃、原宿でグループ展をやったんだよね。たしか3日間の日程で、往復の交通費の節約と好奇心で、会場で寝泊まりをした。閉館後、荷物は会場に置きっぱなしで、財布とケータイだけ持って原宿の街を歩いたんだ。あの時の私、めっちゃイケてた。(その発想がすでにイケてない)原宿の街を、地元ですけど?みたいな顔して歩くんだよね。(たぶんその高揚した表情とファッションでバレてる)

旅行先でも現地の人っぽく振舞いたくなる私のウザさって(自覚してる)、軽妙で身軽で堂々とできないコンプレックスの表れだと思う。

荷物が多い人というのは、心配事が多い人だと言う。本当にその通りで、そんな自分にうんざりしているし、何より軽やかに生きたい。

荷物をやみくもに減らすなんて、そもそもできないのは重々承知。ただ、なぜ荷物が多いのかを考えて、きちんと紐解けばなにか見えてくるものがあるんじゃないかと思ったんだよね。

荷物が増える理由を考えると、おおよそこの3つに絞られる。

  1. 「あるよ」と言いたい
  2. Bプランが常に頭にある
  3. あわあわしたくない

ひとつひとつ紐解いていく。

「あるよ」と言いたい

これはキムタク主演の『HERO』という人気ドラマに出てきた、田中要次演じるバーのマスターのセリフ。お客さんのボヤキを汲み取ったり、メニューに対して「さすがにないよね?」とリクエストされても、すべてを「あるよ」で返す。おすまし顔でね。その姿にたいそうシビれた。私もそういう人間になりたいと強く思った。期待に応え、人を喜ばせ、自分の先見の明にうっとりしたい。

 

Bプランが常に頭にある

心配性であることは、高い危機管理意識の表れだと思う。

折りたたみ傘に関しては「人生でなるべく傘をさす回数と、バスに乗る回数を減らしたい」と強く思っているので梅雨時期以外は入れていない。

だけど頭の中を常に「もし◯◯だったら」が渦巻いていて、それを考えると持ち物リストはどんどん膨れ上がる。

もししているマスクを落としたら、もし寒かったら、もしささくれが気になったら、もし唇の乾燥が気になったら、もし急に映画館に行くことになったら、もし私が必要になったとき相手も持っていなかったら…じゃあふたつずつ持つか。

この思考回路はまさに呪いだ。

 

あわあわしたくない

契約ごとの時なんかは特にそうだけど、例えば保険証を持っていなくて完了できなかったとか、そういうのを排除したい。レジ袋もいざとなったら買えば良いのに、持ってること忘れて「いらない」って言っちゃったら後々大変だぞとか考える。Suicaの残高も異常に気になる。

実際問題、ないならないで割り切れたり、急遽の場合の対応力はたぶんそんなに低くない方。だからいざとなったらどうにでもできる、と分かっていても不安が勝ってしまう。

 

ここまで書き出してみて、自分のなかの思考はよくわかった。けれどもっと奥深く、さらに言うと闇深い理由がありそうなんだよね。

 

私が考えていることって、結局は”人にすごいと言われたい”という承認欲求なんじゃないかと思う。

 

一緒に出掛けた相手が困ったときに「あるよ」と言いたいのはもちろんのこと、見ず知らずの困った人すら助けるイメージをしている。実際のところ、私は驚くほど他人に話し掛けられる。外に出れば高確率で道を聞かれるし、何かしらのSOSをキャッチしがち。(意外に勧誘系は近づいてこないんだけど、この差はなんだ?)

自分が過剰に持っていた荷物のおかげで助けられたこともあり、そういう成功体験(?)のおかげでハズせない持ち物がどんどん増えていく。

大人だから「出先で困れば買えばいいやね」って感情は常になる。さっきも書いたけど、傘は特にそう。なのに、いつか誰かに言われた「ありがとう」の呪い(失礼)で、持ち物が減らせない。

 

バカだな~(直球)

 

財布・鍵・スマホだけ持って出かけたい。