ここに置いておきますね。

脳みそから取り出した駄文の書き置き

唐突に脈絡なく突然立ち止まりスマホと、老害誕生の瞬間

通勤途中、目の前に立ち止まってスマホを凝視する女性がいた。場所は細い歩道、女性は日傘もさしている。

朝からそんな必死に見たい画面ってなによ…と半ば呆れながらすれ違う。通勤途中のKakiokiは特に余裕ないからね。その瞬間、女性がスマホから目を離さずに日傘を持ち替える。本当に突然のことで、私の目のすぐ横を傘の露先(つゆさき)が通り過ぎ、思わず「あっぶな!」と声が出た。

その自分の声の大きさが、恥ずかしかった。こんなにも批判的な自己主張が出るのかと、とても恥ずかしかった。私は足早にその場を去る。

会社に着いて先輩にそれを話すと「もうそういうことに慣れていかなきゃいけないとこまで来てるよね」と言う。ほう。

そういえば前にも通勤ラッシュで混雑する駅の下り階段で、目の前の女性が突然足を止めた。長い階段を一段一段、右足、左足、下りている本当の途中だった。後ろに続いていた私は、どうにかよけたけど、あれは本当に危なくて怖かった。心臓がギューンってした。その人もやっぱりスマホを見ていた。

階段の途中で突然足を止める人がいるかも知れないなんて、考えたこともなかった。”倒れたり、転んだり、座り込んだり、なにか体に不具合で”なことは想像しても、スマホに夢中で、下り階段でもお構いなく突然ピタッと足を止める人は、想像の外にいた。

私は「恐ろしい」とか、「バカじゃないか」とか思って(心で思うのはね、仕方ないよね)、そこで思考を止めていたけれど、これから先は共存していかなければならない。それはもう新しい価値観の域に入っているんじゃないかというのが先輩の意見だった。なるほどね。「そういうことがあるかも知れない」と認識して生活した方が、結局自分のことも守れるんだと。

「で、そういう人をね、例えば注意したりしたらさ、老害に入っていくんだよ、たぶん、そういうこと」と先輩。

老害?この私が!?」と思ったけれど、きっと今までに老害認定された人々も、漏れなくそう思ってるんだろうなと思うと、なるほどなと思う。「まさか、この私が?バカな、勘弁してくれ」ってたぶんみんな思ってる。

きっとあの日の朝、私が「あっぶな!」と言った直後、自分の不快感の自己主張の強さに恥ずかしくなったのは、まだいい兆候なんだ。踏ん張ってるってことだ。それが確固たる意思と自信を持って、「説教してやる!」くらいに思いはじめたら、それはもう老害なんだろう。

これから先も、私から他人に話し掛けることなんてまずないけど。でもそういう機会があったら「老害でしたらごめんなさい?」ってつけて会話を切り出そう。老害でしたらごめんなさい?ハンカチ落としましたよ?」みたいなさ。(しんどい)

 

いや〜でもさ!外であんな過集中しちゃう事態ってなによ!(やっぱり言っちゃう)

ながら歩き界のカリスマ、二ノ宮金次郎に思いを馳せるけどさ(怒られるぞ)。あの時代と今じゃ交通量が違うしね!?前見てなくて起こる事故ったって、肥溜めに足突っ込んだくらいの自損事故でしょ?(知らないで言ってるけど)

この前、動画見ながら歩いてる青年がいてね、追い越す時に興味本位で画面のぞいたらさ(やめろよ)、小林稔侍がどアップで映ってたんだよね。視力悪い私が認識できるほどの小林稔侍のサイズ感で。歩きながらでも見たい小林稔侍って、どんな?そんな面白いドラマがあるの?(帰ってから一応ググるだけはした私かわいい)

 

歩きスマホってさ、たぶん痛い目・怖い目に遭ってないから続けてるんだと思うけど。毎日無傷のまま帰れてるのは、その人が器用なんじゃなくて、本人以外のみんながよけてくれてるからだと思うんだよなぁ〜。

私は切実に、歩きスマホより、突然立ち止まりスマホの方が怖い。あれ予見するのは本当に無理。

あれってたとえば、後ろから来た私がよけ切れずに、相手(立ち止まりスマホ)にケガさせちゃったら、前方不注意で私の責任になるのかな?車だとたぶんそうなんだよね。免許持ってないからわからないけど、歩行者同士ならどうなるんだろ。

そしてそもそも本当にさ、なぜ急に立ち止まるんだよ?階段途中で、道の真ん中で、こんなとこにいるはずもないのに。(途中から山崎まさよし

 

私の中の老害が小さく誕生して、小さく死んだ。そんな日。

育てたくはない。