やりたいことはないけど面白おかしく生きたい
私が最近見ているPlan:DさんというYouTubeチャンネル。
そこでたびたび出てきて驚かされるセリフがあって。
「やりたいことがあって早起きしました」…すごくない?(何が)
やらなきゃいけないことがあって早起きするならわかる。でもやりたいことのために早起きってすごい。海釣り?(バカ)
早起きできちゃうほどに“やりたいことがある”のがまずすごいし、“明日はこれをやろう”と思って眠れることもすごい。私は思いついた時点で始めてしまう。睡眠時間を犠牲にして、体が死ぬ。だって明日に回したらそのやる気が続いている気がしないし、思いついちゃったら静かに目をつぶってられない。
そもそもが無趣味なKakiokiですが、その無趣味にも理由があって。まず思考が止まらない。「とりあえずやってみっか!」的な軽やかさが皆無。先にイメトレして、下調べして、準備するから、だいたい辿り着かない。
やってみないとわからない楽しさ < やる前にいらんことまでイメージして疲労
すべてが↑これに収まる。
ま〜でも「こんなもんか」って斜に構えている節はあるなぁ。もったいないよなぁ。
有名な観光地行ってさ、“るるぶ人気スポットBest3”みたいなの全部まわりたい人っているでしょ?(うちの夫) それの方が旅行を思いっきり楽しめている感じしてうらやましい。だけど私は「テレビでもインスタでも、るるぶそのものでも、もう何度も見たから良くない?」とか思っちゃうんだよね。るるぶなんてプロのカメラマンが何日も張り付いて、最高の条件が揃った時にシャッターを切り、写した何百枚(?)の中からさらに厳選した一枚を載せているわけですよ。それを超える瞬間を、この目で見られるとは思えず。(そういうとこだぞ)
「旅とは目的地ではなく、その道のりを指す」みたいなことを、最近になって理解してきたんだよね。このコロナ禍で旅行行けなすぎて、そう考えるに至ったんだけど。(達観) そう考えると、やっぱりどの旅行も楽しかったな〜と思う。目的地に辿り着いた旅行も、辿り着けなかった旅行も、それぞれに良い。脳内イメージより良かった旅行も、脳内イメージの方が数倍良かった旅行も、それぞれに良い。(岬系はだいたい脳内イメージの方が良い)
やりたいことぜんぶやるみたいなのを指針に生きたいけど、やりたいことがそもそもない場合はどうするべきか?とか考える。そ〜さね〜斜に構えるのをやめて、素直な心で受け入れるみたいなことかね。流行りものとかさ。ミーハーであることって、ちっとも悪いことじゃない。楽しみが向こうからやってくるんだから、それ楽しめたら最高よね。
なんてことを考えてみたよ。